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無二無三

『新選組を探る』、『川崎尚之助と八重』、『慶応四年新撰組近藤勇始末』、『慶応四年新撰組隊士伝』著者、あさくらゆうの公式ブログです。主に取材、調査、日常のことを記しています。 *当該ブログで掲載した画像の無断転用は固くお断り申し上げます。なお、論争の道具にすることは固くお断り申し上げます。*拙ブログについての問い合わせはTOPページよりメールでお願い申し上げます

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雨でも動いた日

30日
 起きてからどうも寝付けずに朝を迎えました。

 この間、スケジュールと格闘。かなりハードな部分もありますが、9日以降はいまだに未定。10日も調査に費やすか、体調に気遣い帰宅するかです。
 
 こんな感じですが、意外に体調は快復しており、これならばと、史料確認へ行くことにいたしました。

 少しバタバタしておりましたが、まずは東京都公文書館へ。

 千葉さな関係の史料のうち、写真映りの悪い部分を補足しました。それ以外は該当がなく、調査の困難さを予感させています。後日、今年中に千葉さな直筆文書の原本がギャラリーに展示される予定があることを聞き、嬉しく思いました。たぶん10月末からかと存じますが、詳しくは少し時間を置いてから東京都公文書館へお問合せください。平日しか開館していないのがネックですが、交通便はさほど悪くない場所です。

 その後、国立国会図書館へ参りました。鍼灸の雑誌や当時の新聞等を閲覧いたしました。

 そして当時の自由党の様相ですが、千葉さなと自由党を結びつけるものは一切なかったと申し上げます。自由党の機関紙を見ても、板垣退助のスケジュールはすべて日付ごとに記述されており、千葉灸治院に行ったとされる根拠がないことになります。

 一方、小田切謙明を治療していたベルツ教授が灸治療による温熱治療の興味を持っていたことは嬉しかったです。そうした経緯が千葉灸治院へ導いたものでしょう。

 なお、女学雑誌ですが、面白いことに自由党の機関紙に毎号広告が掲示されていました。こうしたことが千葉さな記事を当雑誌へ掲載された背景なのでしょう。ただ、これが唯一小田切謙明に訃報を東京で知る媒体となておりますので、小田切家からなにかしらの連絡があったのが先か、訃報記事を千葉さなに知らせたのが先かはわかりません。

 ちなみに小田切謙明の訃報は東京では自由新聞に4月13日付で掲載されておりました。自由党の機関紙も同様ですが、極めて短文で、注目を浴びるほどのものではなかったようです。当然千葉さなの甲府来訪記事などは一切ありません。

 ほかに興味があったので憲政資料室で星亨文書を拝見しました。実はこれがメインです。

 調査の過程で星家の家系がよくわかりました。また写真も豊富で、明治6年以降、横浜にいたこともあり、古くは内田九一撮影(裏面に内田の名前がある写真)のものもありました。一瞬、星夫人がおりょうさんと呼ばれる若いころの写真が似ていることも着目しましたが安政4年の生まれですから別人でしょう。そう思うとどんどん別人に見えてくるから面白いものです。

 また交遊録に祖式帰一があったのに驚きました。戊辰時には祖式金八郎と称し、例の近藤勇が流山で捕縛される要因となった斥候隊の幹部のひとりです。祖式自身は斥候隊のなかでも一番協調性がなく、結城藩討伐等を行っています。

 こうして目からうろこみたいな写真史料がでるのが国会図書館ですね。ほかにも幕末維新期の人物写真(これは明治期に発売されたブロマイドの類)があります。

 そうこうしているうちに時間も過ぎ、閉館時間も近づいたので退出。

 さすがに帰宅後は疲労を覚えましたので早めに就寝いたしました。


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