QLOOKアクセス解析

無二無三

『新選組を探る』、『川崎尚之助と八重』、『慶応四年新撰組近藤勇始末』、『慶応四年新撰組隊士伝』著者、あさくらゆうの公式ブログです。主に取材、調査、日常のことを記しています。 *当該ブログで掲載した画像の無断転用は固くお断り申し上げます。なお、論争の道具にすることは固くお断り申し上げます。*拙ブログについての問い合わせはTOPページよりメールでお願い申し上げます

Entries

歴史秘話ヒストリア~「ぴあのすとおりい」を観て

4日
 10:00起床。暑い。

 食事するも、胃もたれで苦しむ。

 少々心配事があり、いろいろ相談。

 18:00、昼食&夜食をいただいて図書館へ。新聞記事の収集です。おかげで伊庭八郎遺骸発掘の懐旧記事を見つけました。そのなかに土方歳三もあったのでしょうね。個人的には友成郷右衛門の記事に注目しました。あまり友成側からみた彰義隊&長州征伐&戊辰戦争談は貴重です。また、どこかに掲載されていた「近藤勇の伝」のオリジナルっぽいものも掲載されてました。

 これらは「毎日新聞」がドチラかといえば、自由党寄りの新聞だからでしょう。自由民権運動に携わる記事を多く見受けます。また、旧幕側も自由民権運動に傾倒しますから、そういう事情もあるのでしょうね。

20:00きっちりに退出し、21:00までに帰宅。この間に碑の撰文依頼も受けています。これはおいおいと。

22:00、歴史秘話ヒストリアが放映されました。「ぴあのすとおりい」と題し、ヤマハの創始者と高遠藩士(放映では「元」になってましたが、「元」だと藩士を辞めたことになってますから、本来なら「旧」が正しい)の伊澤修二が最初に採りあげられておりました。

 テレビの通り、伊澤はついに音階が治らなかったようです。昔、斉藤一の姉嫁が高遠藩士の娘だったことから、幾度も高遠に訪れています。それで伊澤修二の史料は幾度か見ております。

 で、二部の方で、小倉末(小倉末子と付しているのは当時の新聞が男女の別を判読させるために行ったもので、本来の名は「子」抜きとなる)と久野久が紹介されました。

 さりげなく、史料提供をしていない久野久の方が気になりました。大正4年の交通事故と翌年の御前演奏が久野の暗転のキーワードになってたので、この部分が欠落していたのは残念です。

 それでも、小倉末を本格的に採りあげたのはTVでは初めてではないでしょうか?実は地元大垣はこの放送を知らなかったので、知人を介して紹介していただきました。

 この放送の影響でネット発信ではけっこう詳しくブログに記述してましたので、22:00以降、ブログの閲覧数が1000名を超えてました。かなり幅広く閲覧があったようです。

 で、新選組との関係は何回も書きましたが、小倉末は大垣藩士に復帰した市村辰之助の義姪にあたります。そして小倉末の義理の甥に画家の小寺健吉や俳優の中村伸郎なんかがいます。これらから推しても芸術一家だったことがわかります。

 まぁ、よくも悪くもTVで初めて小倉末が紹介されたことに大きな意義がありますので、そういった意味でNHK大阪放送局の方々に感謝申し上げます。

 そういうことでこの番組のエンドロールに私の名前があった訳です。

 総じてよかったと思います。


よろしければクリックご御力お願いします

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ










スポンサーサイト

Comment[この記事へのコメント]

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

Trackback[この記事へのトラックバック]

トラックバック URL
»»この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

Menu

プロフィール

funnya

Author:funnya
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新記事

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード