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無二無三

『新選組を探る』、『川崎尚之助と八重』、『慶応四年新撰組近藤勇始末』、『慶応四年新撰組隊士伝』著者、あさくらゆうの公式ブログです。主に取材、調査、日常のことを記しています。 *当該ブログで掲載した画像の無断転用は固くお断り申し上げます。なお、論争の道具にすることは固くお断り申し上げます。*拙ブログについての問い合わせはTOPページよりメールでお願い申し上げます

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千葉周作成政~水府系纂より

 16日のツアー中、チャレンジャーな方がいて、私が千葉周作の話をした際に「あれは水戸藩士じゃない」と言われましたので、水戸藩士の由緒書とも言える「水府系纂」のうち、千葉周作の項を掲載します。

千葉周作成政
千葉周作成政、遠祖周之助良胤ト云、千葉介常胤カ裔ニテ下総国ニ住ス、祖父ヲ幸右衛門成勝、父ヲ忠左衛門成胤ト云、天保二年辛卯正月十七日死ス、六十六歳、

成政、天保十二年辛丑六日朔百石ヲ賜テ馬廻組(先是天保十年己亥四月十九日十人月棒ヲ賜フ)トナリ水戸ニ移リ、十四年癸卯正月十九日永詰、安政二年乙卯十一月二十九日中奥番トナリ、是年十二月十三日死ス、六十二歳、

小森氏四男ヲ生ム、長ハ奇蘇太郎孝胤、初名彦太郎ト云、嘉永六年癸丑十月二十三日御床机廻ヲ命セラル、安政二年乙卯二月十三日死ス、三十一歳、向井元常兼敏(酒井雅楽忠実医師)女ヲ娶テ一男ヲ生ム、一弥太某ト云、早世、妻離婚、

成政次男ヲ栄次郎成之、次ハ道三郎光胤ト云、是年九月四日兄死スルヲ以テ奉願嫡子トナル、

次ヲ多門四郎胤政、初名多門ト云、安政三年丙辰十二月二十一日武芸出精ニ依テ白銀五枚ヲ賜フ、

道三郎光胤安政二年乙卯十一月二十九日御床机廻ヲ命セラル、父死シテ三年丙辰二月四日家督ヲ継、百石ヲ賜テ小普請組、是年五月朔日定江戸馬廻組トナリ、四年丁巳六月○日武芸指南ノ功労ヲ称セラレ白銀三枚賜フ、六年巳未十二月貞芳院夫人御下国ニ扈従シ奉ル、文久二年壬戌正月十一日格式大番格トナル、三年癸亥二月上公御上京ニ扈従奉ル、

立原朴次郎百里妹ヲ娶テ二男ヲ生ム、長ハ勝太郎某、次ヲ次彦某ト云

千葉栄次郎成之
栄次郎成之、嘉永六年癸丑五月十九日切符ヲ賜テ定江戸小十人組、安政二年乙卯十一月二十九日馬廻役トナル、万延元年庚申八月○上公御下国ニ扈従シ奉ル、文久二年壬戌正月十一日格式大番格、十二日死ス、三十歳、

海保順三芳富(板倉主計頭某家士)妹ヲ娶テ二男ヲ生ム、長ハ周之介、次ヲ鉄之介某ト云、早世、

周之介之胤、父死シテ文久二年壬戌三月九日其切符(金十両五人扶持)ヲ賜テ小普請組

多門四郎政胤、万延元年庚申七月二十一日合力三人扶持ヲ賜フ、八月上公御下国ニ扈従シ奉ル、文久二年壬戌六月四日死ス、二十四歳、

*本文は手書きによるもので、句読点、行間は私が付与しました。

 簡単に述べると馬廻格100石の水戸藩士ということになります。この系譜を引き継いだのが三男の千葉道三郎で、二男の栄次郎は江戸在府の水戸藩士として新規取立てとなっています。過去のブログに本妙寺と仁寿院にそれぞれ墓所があると掲示しましたが、本妙寺は道三郎の家系で、仁寿院は栄次郎の家系が墓所を守っているということになります。

 ちなみに勝太郎は眼に疾患を負ってしまったため、明治期の玄武館は栄次郎の子、周之助之胤が引き継ぎ、同人が剣術を教え、母学代(かくよ)と妻貞(てい)が長刀を教えていたと言います。

 なお、千葉定吉(重太郎やさなも同様)は鳥取藩士ですので、こちらには関係いたしません。


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