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無二無三

『新選組を探る』、『川崎尚之助と八重』、『慶応四年新撰組近藤勇始末』、『慶応四年新撰組隊士伝』著者、あさくらゆうの公式ブログです。主に取材、調査、日常のことを記しています。 *当該ブログで掲載した画像の無断転用は固くお断り申し上げます。なお、論争の道具にすることは固くお断り申し上げます。*拙ブログについての問い合わせはTOPページよりメールでお願い申し上げます

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彰義隊隊士の末路

 明治29年7月1日の記事を紹介します。

落魄士族の盗
牛込区市谷々町四十八番地小林松五郎方に止宿せる東京府士族山本清兵衛(七十一)といふハ徳川家譜代の臣にて維新の折にハ彰義隊に走せ加はり華々しく上野の山に戦ひしが戦ひ敗れて東北へと脱走する途中船橋の合戦に一方の旗頭となりて勇ましく闘ひたる其の紀念ハ左の腕に弾丸の痕ありありと未だ消えやらぬ剛の者なりしが二十余年の今日となりてハ落魄果てて見る影なく故から知れる小林の情けの袖に囲はれて覚束なくも浮世を渡りしが年老てハ愚痴になり殊に永々の厄介なれバとて同家より彷徨ひ出で深川区富川町三十一番地の木賃宿和泉屋方に宿り僅かの日当を取りて果敢なくも暮し居たるが去る廿八日日本橋区久松町三十五番地蕎麦や巴屋方にて薪割一挺を盗みしより哀むべし直さま其場で老の身に伝縄(なわめ)の恥辱やがて検事局へと送られたりと。
都新聞

 この山本清兵衛に調べてきました。どうやら、
山本清兵衛 150俵 本郷三丁目横町

 のようです。彰義隊の記録は探しきれませんでしたが、こういうのはどうなのでしょう。まず、なぜ薪割を盗んだのでしょう?不思議な内容です。しかし、当時の幕臣の末路を痛感いたします。

牛込区市谷谷町四十八番地士族小林某方に同居する士族山本清兵衛(七十一)といふ老人ハ其昔徳川八万騎の一人として数代徳川家の禄を喰みたる御恩報じハ今此の時とや思ひけん彰義隊の人々上野東叡山へ楯籠る時共に一方の旗頭となり采配取って出陣せしも戦ひ遂に利あらずして味方の軍勢大半奥州へ落ち行きけるにぞ清兵衛も一方の血路を開いて身を脱し皐月の空に落ちかへる蜀魂の啼く音に哀れを添へながら木にも茅にも心置く落人の身になり果つ数ヶ所の手疵をいたはりながら諸方へ漂寓したるのち遂に捕はれて降人となり将に絶なんとせし玉の緒を繋ぎ止めたる甲斐もなく維新の後ハ世に落ち果て老麒伏歴のソシりを厭ふに遑あらず碌々として歳月を送り此程よりハ深川区富川町三十一番地の安泊り泉屋方を宿として料理屋の日雇稼ぎを為しをりが一昨日午後三時頃日本橋区久松町を通行して同町の蕎麦屋加藤峯吉方の軒下に一挺の薪割ありしを見て心まよひ昔しハ名刀をカブせし手にうたてや件の刃物を盗取り新大橋の方へと逃行くを警官の為に拿捕せられ翌日検事局へ時の太鼓を相方にして送られたり。
朝日新聞

 やはりこの記事でも薪割を盗む理由はわかりません。不思議な事件ですが哀れに思います。


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Comment[この記事へのコメント]

NoTitle 

旧幕臣たちの行く末は様々ですが、こんな人もいたんですね。
静岡県民としてはつい同情してしまいますが、きっと不器用な
人物だったんだろうな、と思います。
彼のような人にとって、明治の世は、さぞ生きづらかったことでしょうね。
  • ビラーゴ 
  • URL 
  • at 2010.03.03 00:16 
  • [編集]

ツライですね 

ビラーゴさま、コメントありがとうございます。

たぶんこの方に限らず、零落の身の上の方は多かったようですよ。なかには極貧のなかで亡くなった名のある幕臣も幾人かいたようですので。

彰義隊頭でした小田井蔵太も福島県本宮町に墓所があるのは開拓事業に失敗し、客死したと聞いていますので。

「彰義隊隊士のその後」もひとつの本が出来るほどの内容でしょうね。
  • あさくらゆう 
  • URL 
  • at 2010.03.03 01:20 
  • [編集]

深川区富川町三十一番地 木賃宿 和泉屋 

現住所はどこになるのでしょうか?
手がかりを探しています。

よろしくどうぞ
  • 名無しの権兵衛 
  • URL 
  • at 2013.05.01 18:51 
  • [編集]

名無しの権兵衛さんへ 

  富川町は現在の森下町3丁目付近になります。
  • あさくらゆう 
  • URL 
  • at 2013.05.05 11:52 
  • [編集]

深川区富川町三十一番地 木賃宿 和泉屋 

大職冠鎌足後胤豊成孫従四位片岡民部少輔綱利二十五代片岡権兵衛信行次男の子孫から数えて
六代目片岡鐐之助(政蔵)信義が明治二十年五月三十日(歿享年五十七才)に
埼玉県幸手市で亡くなります。その孫に片岡善一郎・市太郎・敬之助がいて、それぞれ出生地が
東京都深川区富川町三十一番地に大正四~十一年に生誕と書かれていました。
片岡鐐之助は大嶋丹波守に就職していて、明治十八年 浅草区北松山町(松が谷一)から
埼玉県幸手に移住してきます。
先祖書、親類書など三冊が複写されたようで、その一冊が私、手元にあり、
残り二冊は彼らが幸手を離れる際に持って行ったのかと思われます。
いずれにせよ、末裔に逢えればと期待しています。

和泉屋という屋号だけでも救いです。
改めて返事ありがとうございました。
  • 片岡典之 
  • URL 
  • at 2013.05.06 15:36 
  • [編集]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
  •  
  •  
  • at 2016.04.09 20:50 
  • [編集]

こんにちは 

鍵付きさま、コメントありがとうございます。
もしそうなら、先祖かも知れませんね。もう少し詳細がわかれば家にとって貴重な記録になるでしょうね。
  • あさくらゆう 
  • URL 
  • at 2016.04.16 15:20 
  • [編集]

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