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無二無三

『新選組を探る』、『川崎尚之助と八重』、『慶応四年新撰組近藤勇始末』、『慶応四年新撰組隊士伝』著者、あさくらゆうの公式ブログです。主に取材、調査、日常のことを記しています。 *当該ブログで掲載した画像の無断転用は固くお断り申し上げます。なお、論争の道具にすることは固くお断り申し上げます。*拙ブログについての問い合わせはTOPページよりメールでお願い申し上げます

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市谷柳町住人列伝⑤~千原吉五郎

 いつからの居住かは明確な史料が存在しませんので創業は不明ですが、市谷柳町25番地には古くから「富士屋」という菓子屋がありました。

 このまんじゅうは江戸時代、近在では評判を呼び、一部からは褒賞を受けるほどの評判だったと伝わります。

 その当主が千原吉五郎と言います。代々吉五郎を襲名し、この名前を襲名した最後の当主は明治36年ごろまで存命だったようです。明治25年現在の営業利益(売上)は19,423円もあったようです(当時米1俵が2.28円で、仮に現在価格を13,000円とすれば、約1.1億円の売上となります)。当時の景況が窺えます。

 そして没後、富士屋は明治30年代に外苑通り開通ととも同43番地に移転(現在のオリジン弁当の辺り)し、養子の千原善吉氏が味の継承をいたしました。

 残念ながら富士屋は明治42年の善吉氏の逝去にともない、廃業したようです。跡地の一部は新たに開削され、大久保通りとなっています。

 もし、この富士屋の伝統を継承しているところがあれば、試衛館まんじゅうとして再ブームのきっかけとなるのですが、現在のご子孫(錬吉氏(M26生、鉦三郎氏(M32生))は連絡先を知りませんので、もしご存知の方がいらっしゃたらご教示いただければ幸いです。たぶん、すべてではないでしょうが、弟子がのれん分けした可能性もあるわけで、当時、試衛館メンバーが食したまんじゅうの味はどこかに生きていることを信じたいと思います。


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