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無二無三

『新選組を探る』、『川崎尚之助と八重』、『慶応四年新撰組近藤勇始末』、『慶応四年新撰組隊士伝』著者、あさくらゆうの公式ブログです。主に取材、調査、日常のことを記しています。 *当該ブログで掲載した画像の無断転用は固くお断り申し上げます。なお、論争の道具にすることは固くお断り申し上げます。*拙ブログについての問い合わせはTOPページよりメールでお願い申し上げます

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近藤勇と土方歳三~出会いの奇跡

「新撰組と多摩党の虚実」という本がります。この本によると土方歳三はこの本に出てくる嘉永火事によって武の必要を感じ、近藤勇の門下になったといいます。

 実のところ、この事件を教訓として剣術を習ったのは佐藤彦五郎であり、土方歳三ではありません。ただ、彦五郎が近藤周助→近藤勇の門下にあったことが土方歳三を近藤勇に引き合わせたのは事実でしょう。

 この出会いですが、実はかなりの偶然が重なって初めて出会えたという経緯があります。

 まず歳三の生家、隼人家ですが、歳三がいる時期は村の伍長の役職にありました。基本的に役付きの家で長男でない者は同じ家格の村の家へ養子にいくのが通例です。ところが弘化3年(1846)に起きた川の氾濫で隼人家の家作が流されてしまい、かなり家系が逼迫してしまいました。借財を抱えた家から養子を貰うという環境はよほどの恩顧がなければかなうものではありません。こうした事情で歳三は奉公にも行き、奉公から帰った後も養子の口もなく彦五郎の家へ厄介になっていたのです。こうした彦五郎の庇護がなければ剣術を習う環境もなく、彦五郎という仲介者がいなければ逢うこともなかったわけです。

 で、この彦五郎にしても近藤道場で剣術を学ぶことについても偶発的な事件がきっかけになっています。

 これは「嘉永事件」、または「嘉永火事」と呼ばれるもので、日野市では150年経ったいまでもタブーとされている事件です。

 タブーなので簡単に記しますが、旧来より日野宿は名主ふたりが村政を行っており、本陣を隼太家が、脇本陣を彦右衛門家が担いました。彦右衛門の子孫が彦五郎に当たります。

 時代の趨勢でこの事件が起きる前に隼太家が斜陽化し、いつしか彦右衛門家が本陣業務を担うようになりました。この後、彦右衛門の専断的な村政にあたったことが端を発し、当時の名主、隼太が代官役所に告訴して、事件が起きる前まで村を二分するほどの悶着が起きました。そして天保8年(1837)、隼太が出府中博打を行っていた罪で奉行所に召捕られてしまいます。かれこれとこれにも悶着がありまして、隼太は遠島処分を受ける破目になりました。

 しかし、隼太は弘化5年(1848、2月に改元して嘉永)までには罪を解かれ、名前を蘇六と改めて、息子の芳三郎の家に厄介となっていました。

 で、本件は嘉永2年(1849)1月20日、日野宿で大火が発生しました。このとき、彦右衛門家に怨みを抱いていた蘇六は同家に乱入し、彦五郎の祖母ほか1名を惨殺してしまいました。

 この顛末は結局、翌日捕縛された蘇六が幽囚中に彦五郎側に同情した者によって暴行を受け、その傷が元で獄死して落着しました。

 実は私は隼太が遠島処分されたという報告書が残されていることもあり、どの島に遠島されたかを調べたことがあります。しかし、記録に残る島には該当者がいませんでした。

 ようやく22日、「鈴木平九郎日記」の弘化3年の項でわかりました。その部分を記すと、

日野宿元名主隼太事七郎左ヱ門義、博チ悪事ニ付、八ケ年前三度目之入牢ニ而、名主相勤居町医高野長英奸策ニ而牢屋敷出火、同人逃去後隼太牢替ニ相成、遠島御仕置被仰付候由等之評判も有之所追々延引、此度江戸払御仕置ニ而出牢(略)

 つまり、「蕃社の獄」で捕縛され、終身刑を受けていた高野長英が天保15年(12月に改元して弘化)牢役の人間を抱き込み出火させ、逃亡した事件で、この火事は幕政史において、ある意味有名な事件です。このとき隼太も同じ牢にいたことが考えられます。このとき、牢の掟では罪人を放置して焼死させず、一時解放して帰ってきたものには恩典を、帰ってこなかったものには重罰を与えるという決まりになっています。

 この経緯を見るに、隼太は解き放たれた後に牢に戻ったことにより罪一等を減じられ、江戸所払い、つまり軽追放処分に減刑されたことが伺えます。

 このとき遠島処分を受ければ、生還率はかなり低い島の暮らしですからこの事件は起きなかったものと思われます。こうした運命のいたづらが嘉永事件に発展し、彦五郎に武力の必要を痛感させ、近藤周助の門下となるわけです。

 まさか近藤勇と土方歳三の出会いに「高野長英」がでてくるとは思いませんでしたが、運命とは偶然の連続からなるということを痛感いたしました。







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