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『新選組を探る』、『川崎尚之助と八重』、『慶応四年新撰組近藤勇始末』、『慶応四年新撰組隊士伝』著者、あさくらゆうの公式ブログです。主に取材、調査、日常のことを記しています。 *当該ブログで掲載した画像の無断転用は固くお断り申し上げます。なお、論争の道具にすることは固くお断り申し上げます。*拙ブログについての問い合わせはTOPページよりメールでお願い申し上げます

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市谷柳町住人列伝③~升本喜兵衛


升本喜兵衛(故升本喜八郎氏蔵)

 慶応年間に店舗があっただけですが、功績が大きいので列伝に加えたいと思います。

 酒屋で升本といえば、ここが語源となるくらいの人物で、明治大正期は代々富豪として数えられるほどの名家でした。

 起源は初代喜兵衛の祖父、幸次郎が生国伊勢より江戸四谷大番町(現新宿区大京町)で酒の小売店を開き、繁昌させたことから始まります。
 その祖父の家業を継いだ新助氏のときに没落したといいます。

 初代喜兵衛は文政5年(1822)8月25日に生まれ、家系の一助として牛込揚場町の三河屋六郎次の雇人となり修行を積んでいます。優秀でしたが、三河屋は小川喜助が継ぐこととなったため、両国の伊勢屋で再度修行を積み、ついに弘化4年(1847)、独立して父の店があった大番町で店(舛本)を開業します。店は繁昌しました。

 文久2年(1862)、残念ながら江戸での大火により、店は焼失してしまいました。そのため、こんどは翌年に市谷薬王寺前町に店舗を開きました。このころ父の名を受継いで舛本喜兵衛となりました。店舗は慶応年間には柳町に移り、その縁から叔父の娘が前回記事の山田屋権兵衛の当主となった田畑安吉に嫁いでいます。

 明治維新を迎えると場所を牛込揚場町に移り、升本を創立します。喜兵衛は明治3年(1870年)、町年寄となり、のちに三大区(のちの牛込区)の役職を歴任し、明治12年(1879年)、牛込区会議員に当選。また、土地事業を手懸け、旧旗本地を買占め、不動産業も着手したことで巨万の富を得ました。明治15年(1883年)には東京市会議員に当選し、歴任しました。

酒販業においても田畑安吉との連携により、酒販業を拡大し、多くの従業員を使い、のれん分けしました。現在、東京にある升本という酒販店の称号はその由来から成ります。

明治25年(1893年)、いまの升本姓に改め、代を養子である二代目喜兵衛に譲っり、名を喜楽と名を改め、晩年は東京市における福祉事業に貢献し、明治40年(1907)没しました。

 二代目喜兵衛は松本兵蔵の三男として嘉永2年(1849)1月5日に生まれ、養父喜兵衛の養子となり、養父の家督を継ぎました。その後のバックアップのもとに大成し、上菱醤油(株)監査役、(株)中央貯蓄銀行常務取締役を歴任しました。

 なお、その子、喜龍は分家した喜楽に養子として入り、酒販業で大成し、喜楽没後の家督を相続し、酒販業の地盤を固めました。

 菩提寺は新宿区正応寺にあります(この寺院は墓参不可)。

 なお、中央大学の理事長を務めた升本喜兵衛氏はこの喜兵衛の子孫にあたる。


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