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『新選組を探る』、『川崎尚之助と八重』、『慶応四年新撰組近藤勇始末』、『慶応四年新撰組隊士伝』著者、あさくらゆうの公式ブログです。主に取材、調査、日常のことを記しています。 *当該ブログで掲載した画像の無断転用は固くお断り申し上げます。なお、論争の道具にすることは固くお断り申し上げます。*拙ブログについての問い合わせはTOPページよりメールでお願い申し上げます

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市谷柳町住人列伝②~山田屋権兵衛

山田屋権兵衛

 江戸時代の初めに伊勢方面より現在地に住したと伝えられます。
 当初は加賀藩領にあたり、加賀藩前田家の方、清泰院の所領の際、恩顧を受けて、その地にいたとも伝わります。このころより酒、味噌、麹を主とした商売をしていたようです。

 正徳4年(1714)、日光東照宮修繕に尽力した褒美ということで、幕府大棟梁、甲良豊前はこの地を拝領されます。豊前は隠居所を建立したい希望がありましたが、すでに山田屋が土着しており、拝領地には多くの町人が居住していることを鑑み、これらの町屋を撤去して隠居所を造るのはいかがかと思い、甲良家はそのまま、この地を拝領したまま地貸しし、自らは現在の北千住駅附近に屋敷を建立し、住んだそうです。以後、明治初期まで甲良家はこの地に住むことはありませんでした。

 六代目権兵衛は信心に厚く、市谷八幡神社や現在の柏市にある布施弁天の寄進を行っている。このころ、酒事業は七兵衛に、自らは麹、味噌醸造を手懸けていたようです。

 天保10年(1839)、近藤周助が剣術道場を開く際、山田屋の敷地で開業しました。そのため嘉永2年(1949)、のちの近藤勇を養子へ取る際、権兵衛(七代か?)がその保証人のひとりとして名前を連ねています。

 明治期になると、田畑安吉氏が若くして代を継ぎ、縁戚である升本喜兵衛とともに不動産事業を手懸け、営業店舗も麹町区の六番町へ移し、山田屋を繁栄させました。安吉本人も牛込区会議員を歴任しました。

 そして最後の当主、福太郎のころには屋号も「山権商店」と改めますが、昭和18年の戦時統制を受けて、休業。のちに六番町の店舗も空襲被害を受けたため、そのまま廃業しました。

 ちなみに江戸初期より住んでいた場所は400年以上経ったいまでも田畑家の所有地となっており、田畑家先祖を守る稲荷(同地にあるが、試衛館稲荷とは別物)はいまも現存します。

出典:公文書、現代人名辞典ほか

(08年12月22日の記事を再掲しました)

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