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無二無三

『新選組を探る』、『川崎尚之助と八重』、『慶応四年新撰組近藤勇始末』、『慶応四年新撰組隊士伝』著者、あさくらゆうの公式ブログです。主に取材、調査、日常のことを記しています。 *当該ブログで掲載した画像の無断転用は固くお断り申し上げます。なお、論争の道具にすることは固くお断り申し上げます。*拙ブログについての問い合わせはTOPページよりメールでお願い申し上げます

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近藤勇邸の家主~火附盗賊改方与力・大河内兵三郎

 慶応3年10月に近藤勇邸は柳町(市谷甲良屋敷)から廿旗組屋敷(現二十騎町)にあった大河内兵三郎邸に越しています。

 大河内兵三郎は年齢等が史料不足により不明ですが、「鬼平犯科帳」で平成でも名前を知られるようになった火附盗賊改の与力でした。

 古い記録では最近見聞した鈴木平九郎日記に登場します。ひの史跡歴史データベースに一部が掲載されてますが、10月に「落合様御組大河内兵三郎様」が登場します。

 国立公文書館内閣文庫多聞櫓文書に唯一残るものにも「戸田与左衛門組火附盗賊改方与力」と記されています。

 この息子が金之助で、元治元年21歳(天保15年生まれ)のときに御先手鉄砲組に配属されています。のちに慶応3年に遊撃隊が組織されると配属され、上京しています。

 翌年の騒動の際は徳川家の静岡移住に従い相良へ移りました。そして数年もたたずに静岡市内へ移住しています。明治11年までに家督は金一郎(金之助の改名か?)に譲られ、その後の消息は不明です。

 残念ながら手がかりを探す史料は現時点では見つかっておりません。静岡在住者は特に明治17~20年に改名された方も多く、大河内金一郎の名は晩年名ではないかも知れません。もしご存知の方はご一報いただけたら幸いです。 


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