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無二無三

『新選組を探る』、『川崎尚之助と八重』、『慶応四年新撰組近藤勇始末』、『慶応四年新撰組隊士伝』著者、あさくらゆうの公式ブログです。主に取材、調査、日常のことを記しています。 *当該ブログで掲載した画像の無断転用は固くお断り申し上げます。なお、論争の道具にすることは固くお断り申し上げます。*拙ブログについての問い合わせはTOPページよりメールでお願い申し上げます

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小川と茨城町

13日
11:00、沢屋さんを訪問した後、『こいこい』でお買い物。日野新選組同好会の方と会ってお話しの後、行方市を辞去。諸事あって茨城町に行きたかったのと、直前に小川町の話が出たのでソチラも、ということで。

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で、偶然鹿島鉄道の話をしてて、友人にナビを頼みつつ進むと、偶然見つけてしまいました(爆)昔、現役のころに何度か乗車した経験があります。マニアの院長のこだわりで、エンジンは可動するんです。もちろん発進したら即脱線しますが(爆)あと、信号機も点灯してました。一応、病院に隣接する養護施設に鎮座しております。

11:30、小川郷校の碑を見学後、図書館で「ひたち小川の文化」を閲覧と複写。ジャイアンの言うことには私がウソツキとか。ウソもなにも、根拠史料の発見が2004年8月で、刊行は翌年です。イントラ状態のものを探すのは困難ですので、この文書の発見前に書いた冊子に対して反映してない云々を問われましても…。ちなみに2Fに原本が展示してありました。

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13:30、降雨があったので、昼食を優先しようと『金龍菜館』に参り、水戸藩ラーメン&餃子を。一時はアチコチで同様趣旨のラーメンをいただけましたが、現在知る限りはここのみです。

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14:30、そして酒門共有墓地へ。芹澤家墓所の写真がありましたので、お尋ねして案内していただきました。写真と史料は問題ないと判断し、確認作業をいたしました。明確な下市芹澤家の墓碑は三基あり、長幹、忠幹、貞幹と、江戸中期の当主の墓碑でした。幕末の当主、義幹と父以幹の墓碑は滅失したか、別の場所にあるかですが、判明すれば良いですね。状態から見て、無縁とわかります。

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 そして茨城町に入り、毛塚に参りました。長岡宿に屯集していた浪士たちが、遺髪を収めた場所があり、その場所からこの地に移して祀ってあるそうです。

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15:30、で、幕末から離れ、小幡城へ。とにかく公共交通からは隔絶された場所です。そのおかげか、城内の保存は良好のようです。私はテロリストのために車内で待っておりました(汗)

 で、小幡で寺院に挨拶後、運転を友人に替わっていただき、いざ土浦へ。

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17:00、石岡が祭と思い、手前のインターで乗ろうと思ったらETC専用レーンだったため、断念。そしたら大祭は来週ということで安堵。で、旧道を通ったものですからせっかくということで、石岡の東耀寺へ。鈴木三樹三郎(忠良)の墓参をいたしました。

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で、市民会館に府中藩時代の門が設置されておりました。市民会館を建てる際、邪魔になるからと、移動していたのを戻したそうです。その際、偶然、鈴木家のご子孫とお逢いしたので旧交を温めました。

18:30、土浦駅に到着。レンタカーを返却後、駅のイートインで軽食を。

20:15、常磐線に乗車。

21:50、北千住に到着し、そのまま帰宅。

23:30、そのまま寝落ち。
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