QLOOKアクセス解析

無二無三

『新選組を探る』、『川崎尚之助と八重』、『慶応四年新撰組近藤勇始末』、『慶応四年新撰組隊士伝』著者、あさくらゆうの公式ブログです。主に取材、調査、日常のことを記しています。 *当該ブログで掲載した画像の無断転用は固くお断り申し上げます。なお、論争の道具にすることは固くお断り申し上げます。*拙ブログについての問い合わせはTOPページよりメールでお願い申し上げます

Entries

相馬主殿はなぜ主計なのか?

25日
7:30、起床。

12:30、親のリクエストで吉野家に牛丼を購入して出かけ…熱射病??に…。

 と、いうことで1日ダウン。

たぶん…24:00ころには就寝。


閑話休題。

 そういえば…、先週、相馬主殿の講演をした際、フト素朴な疑問が。

 一体、なぜ相馬主計に定着しているかということでして…

 ちなみに相馬の変名歴(判明分)

1843~1858、船橋太郎?
1858~1863、船橋吉太郎
1863~1865、船橋時之助
1867~1868、相馬肇
(4.25まで)
1868~1868、相馬主計
(彰義隊加盟~新選組隊長復帰前)
1869~1875、相馬主殿

*船橋姓は実家

 で、主計という名前は笠間藩から脱藩した際に変名したものであり、本名でもまったくない名前だったりします。そして、榎本政権樹立後、役職に就く際に似たような名前が2名いたので改名したと、『相馬主殿回想録』に記されております。つまり、新選組とはほとんど縁のない時代の名前、ということになります。

 しかし、皆さま一様に「相馬主計」としたがります。1年も使用してない変名なのに…これについては本当に違和感を感じております。かくいう私もよく知らないときには「主計」を用いておりましたが、現在は7年間用いた「主殿」とするよう心掛けております。新島博物館(建碑直前までは主計だったようですが…)、日野市立新選組のふるさと歴史館も同様です。

 なお、最古に相馬を調査して執筆した尾佐竹猛編『海南流刑史』(M42ころか)に、題を「相馬主計」としつつも、相馬主殿と記されております。要するに、箱館戦争で主計と名乗ってたときの名称が活字化されたことから、この名前が一般的なのでしょうね。

 まぁ、逆を言えば、名称の使用方法次第で、その方の学術的思考が理解できる指針かもしれませんね(笑)


新島博物館提供
 果たして地下に眠るご本人はどう思っていることやら…。
人気ブログランキングへ
よろしければクリックご御力お願いします

にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
スポンサーサイト
  • TB(-) |
  • CO(-) 
  • [Edit

Menu

プロフィール

funnya

Author:funnya
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新記事

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード