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無二無三

『新選組を探る』、『川崎尚之助と八重』、『慶応四年新撰組近藤勇始末』、『慶応四年新撰組隊士伝』著者、あさくらゆうの公式ブログです。主に取材、調査、日常のことを記しています。 *当該ブログで掲載した画像の無断転用は固くお断り申し上げます。なお、論争の道具にすることは固くお断り申し上げます。*拙ブログについての問い合わせはTOPページよりメールでお願い申し上げます

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久野先生のこと二つ三つ

 久野久子さんの批評で一番辛辣だった兼常清佐氏(音楽と生活)で、妻と思われる兼常おとくさんの記事が載っていましたので掲載いたします。

(婦人之友 T14/6)

 久野先生のお好きだったものは、どちらかと云へば甘味のものよりも、おすし、おさしみ、漬物、焼するめ、などのやうなものでありました。おいしいお香のものに、熱い番茶のお茶づけと来ては正に大好物の一つでありました。先生の絹の風呂敷包の中からは、時々ばらばらにこはれたクリンドウォルトのベートーヴェンの楽譜と一緒に、奈良漬やすぐきなどの入った曲物が出る事もありました。いつぞやお宅からわざわざ海苔巻きを作らせて持って来て私共に御馳走して下さいましたこともあります。
 お酒は葡萄酒なら一二杯はお飲みになったことでありませう。ベルリンでは時々瓶詰めのビールを下宿の女中に求めさせてゐたといふ事であります。
 煙草の事は存じません。一体に食物の趣味は日本趣味であったと思ひます。

 久野先生の着物の趣味は思ひ切って派手好みでありました。しみったれた事や、ぢぢむさい事は大嫌ひでありました。私がいつも垢じみた、そして久野先生から見ればお婆さんの様にじみな羽織を着てゐますので、顔を見るたびに、またその羽織を着てゐるのかと、叱るやうに云ひました。従って自分の着物などは色の配合とか、半衿の模様とか、柄などに就いても
、可成苦心して決してゆき当りばったりではありませんでした。この様に考へて作ったものでも、あの出来上りが気に合はなかったり、自分に似合はぬ点が少しでもあれば、先生はそれで我慢の出来る方ではありませんでした。曾て桜風会が主催となった演奏会といふので、桜花と楓を裾模様にした紋付を染められた事があります。私共から見れば大変よく似合ふ様に思ひましたが、先生には、どこか気に入らぬところがあるので、一度着たか着ぬかといふ新調の紋付を直ぐ人にあげておしまひになりました。ドイツでは洋服をお作りになって着たこともあるさうですが、その姿は私には想像も出来ません。
 しかし着物は女にとっては命から二番目に大切なもので、その細かいことはよほど考へなければ今軽率には申されません。いつか指輪の金剛石を取って、わざわざ髪のピンにはめ替へさせた事がありますが、そのピンは間もなく何処かへ落したといふて居られました。
 お化粧は相当に濃厚な方でありました。
 久野先生は、いつも若くてきれ(い)でゐたいと口癖のように云っておりました。

 久野先生は腰をかけるよりも、座ることが好きで、ピアノを教えながらでも直ぐに椅子の上に座るのが例でありました。西洋間でピアノは弾いても、やはり趣味としては、日本間の方を好まれたやうに見えます。

 ピアノの方が忙はしいので、あまり読書のお時間がなかったやうですが、然し文士のお友だちがありましたので、時々その作物や、或は新しい翻訳ものなどのお話をされる事がありました。--創作では江馬修氏の「受難者」有島武郎氏の何か。翻訳では、トルストイの「戦争と平和」ドフトエフスキィの「罪と罰」等。
 いつか一度話の中で古今集の歌を一首引用されたことがあります。大変めづらしい事ですが、今その歌が何んでありましたか忘れました。

 久野先生はお花が大好きでありました。殊に西洋の草花類がお好きで、中でも香の高い薔薇は大変愛されました。時々私もばらの花を一二輪いただいた事があります。

 平常の言葉は、最後まで関西の訛が混って居りました。
ー「左様やなぁ」「阿呆やナァ」「阿呆かいな」「悪いみたいな」(悪いやうな)「あかん(だめだ)」等。
 又言葉の使ひ方などにも可成無頓着でありました。それがまたいかにも久野先生らしいので、よく一緒に笑ひました。
ー「私の弾くピアノの(げ)題」「ベートーヴェン様」等。
 一体で久野先生の言葉はどことなく難解で、初めての人には、よく意味をききとれぬ場合がありました。

 久野先生は忙はしなかったので、近頃は芝居には殆どお出でになるやうな事はありませんでした。音楽会にさへも久野先生の姿を見る事は稀でありました。

 人も知るやうに久野先生は子供の時には有名な古川検校の高弟でありました。しかし私共は曾て一度も久野先生の事も三味線もきいた事はありませんが、若しやる気になれば琴も三味線も、唄もまだ忘れずにお出でになった事と思ひます。芝居も恐らく若い時にはごらんになった事がありませう。何かの話の中で、弁慶上使の段の文句が出た事がありました。

 温泉は久野先生の唯一の慰安所であったやうに思はれます。近年は殆ど磯辺温泉ばかりにお出でになりました。何んでも磯部が気に入ったかはききませんでした。温泉にはいつも練習用に特別に作らせた卓上ピアノを持ってゆかれました。
 此のピアノは鍵盤の大きさは殆ど普通のピアノと同じでありますが、ただ携帯の便利のため、三つに折たたむやうになって居りました。そして玩具の卓上ピアノと同じ様に金属板のキンキンといふ音が致しました。この鍵盤が三つに切れてゐる事となまじっかな音のする事とは私共に一寸不愉快に思はれました。私は久野先生が何故にあのリストの携帯用ピアノと同じ様なものを注文なさらなかったのかと思ひます。
 
 久野先生が、まだ古川検校の弟子であった頃、顔の美しい事と、技倆の勝れてゐた事とが人の注意を惹いて、あさらひの会などには、よく人がお嫁さんの後補者にと見に来たさうです。又古川検校の宅に通ふ途中、しばしば出会った男の子をどうやら好きらしく思ったといふ事を話されたことがあります。
 近頃のことは存じません。

 久野先生も人間である以上、やはり人間の持つ欠点は持っておででになりました。しかし氏は凡てを浄化します。今私の回想の中の久野先生は、ただ正直で、無邪気で、快活で、親切で、義理固くて、真実そのもので、そして美しい人としか思はれません。
 



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