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無二無三

『新選組を探る』、『川崎尚之助と八重』、『慶応四年新撰組近藤勇始末』、『慶応四年新撰組隊士伝』著者、あさくらゆうの公式ブログです。主に取材、調査、日常のことを記しています。 *当該ブログで掲載した画像の無断転用は固くお断り申し上げます。なお、論争の道具にすることは固くお断り申し上げます。*拙ブログについての問い合わせはTOPページよりメールでお願い申し上げます

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出石藩広瀬家の話

10日
 前日から細かい作業。

 いま探してる人物に広瀬重渕がいます。出石藩医で幕末のときの家督者は恭助。先代重淵の養子です。寛政4年(1792)生まれの重淵に較べれ天保14年(1843)生まれの恭助は1度養子の失敗の後もあり、手塩にかけたことでしょう。

 ちなみにこの恭助の名前は川崎才兵衛の襲名前の名前と同一です。広瀬は川崎才兵衛とともに仙石騒動に巻きこまれた同志です。のちに広瀬は復職していますが、川崎才兵衛は復職までに時間がかかりました。

 この広瀬恭助が川崎才兵衛の娘と結婚します。明治維新の後は出石町松枝に住し、重渕を襲名後、広瀬則之の名で医業を行ないます。この則之は没する明治30年代まで現役の医師だったことを考えると蘭方の心得があったのかと考えます。

 その後、家督は哲氏に受け継がれ、その哲氏が昭和21年までに没したのか、次期継承者で神戸市在住だった広瀬伊織氏はその土地等を引き払い、神戸市須磨区に移転します。

 住宅地図では昭和54年ころには名前を見つけることが出来ますが、昭和60年には名前がなく別人となり、その後、東須磨駅の拡張工事とともに、場所そのものが消滅しているようです。

 この広瀬家がなにかしらの文書でも所有していれば出石藩の歴史にさらなる地平が拓かれるのですが、これらは後世を待つしかないのかもしれません。

*2014.8.19追記;墓所は出石町の光明院に存在しましたが、現住職によれば、在職中、祭祀された形跡はないとの由。

閑話休題、

2:00、就寝。

13:00、起床。昨日より1時間早く寝たのに1時間遅く起きました。風邪の症状がかなり出ています。

15:00、遠出を断念して近所のみにする。その下調べ。せっかくなので宮城県といえば山南敬助なので、その方面を。

 以前より気になっていたキーワードがあるのでその方面を調査したいと思います。もちろんハズレの可能性もありますが、誰も切り込んでない分野なので、史料の有無の問題もありますが、やること自体は面白いと思います。

18:30、病気の度合いが治まってから台東区立中央図書館へ。電話帳で苗字の分布率を調査します。

21:00、買い物後、帰宅。そのままドラマを鑑賞。最初に登場した悪役専門の方が犯人なのはお決まりの範囲ですね(笑)

23:00、なにはともあれ、先に拙HPの充実化を行なうため、「執筆」を2分野、「講演」をひとつ追加。その製作を行ないますが、これがけっこう難物で……自分で気付かぬうちに随分書いていたのですね(汗)それらをまとめるのにひと苦労です。

 こうして夜は更けて参ります。

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