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無二無三

『新選組を探る』、『川崎尚之助と八重』、『慶応四年新撰組近藤勇始末』、『慶応四年新撰組隊士伝』著者、あさくらゆうの公式ブログです。主に取材、調査、日常のことを記しています。 *当該ブログで掲載した画像の無断転用は固くお断り申し上げます。なお、論争の道具にすることは固くお断り申し上げます。*拙ブログについての問い合わせはTOPページよりメールでお願い申し上げます

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共同通信配信記事について

 9月16日付共同通信配信で、またも芹澤鴨に関する記事が掲載されました。ご存じのとおり、茨城新聞紙上で11日付に記事が掲載されましたが、これは同月5日の記者会見から端を発しており、再取材を経て構成されたもので、茨城新聞と記者が違います。茨城新聞のときも申しましたが、当初は複数の文献を用いるので新聞発表はせずに新著で公表する予定でした。上記ブログ記事のように、話題性として呼ばれているくらいの気持ちで行ったらこんな塩梅になりました(笑)


新選組・芹沢鴨暗殺に新説 会津藩、無断行動に怒り?

 酒乱で乱暴者だったことを理由に暗殺されたとの説が有力な新選組の初代局長芹沢鴨が、殺される直前、攘夷(じょうい)派だった有栖川宮(ありすがわのみや)家に奉公を申し出ていたことが、宮内庁が所蔵する「有栖川宮家日記」の記載で16日までに分かった。

 記載を確認した幕末維新期の人物史研究家、あさくらゆうさん(44)は暗殺の背景について「無断の申し出が、新選組を管理していた会津藩の怒りを買ったためではないか」と分析している。

 日記などによると、幕末の文久3(1863)年9月13日、芹沢は浪士15人を率いて事前連絡なしに有栖川宮家を訪れ、有栖川宮熾仁(たるひと)親王に仕えたいと申し出た。

 熾仁親王は当時、幕府に攘夷を決行するよう説得するため、江戸に出向くことを検討していた。

 一方、新選組は、京都守護職の会津藩主松平容保の配下にあり、京都警備の任務を命じられていたが、芹沢は攘夷への強い思いから独断で行動したとみられる。

 あさくらさんの研究によると、芹沢の申し出は会津藩の怒りを買ったばかりか、幕府に難癖をつける材料を熾仁親王に与えたとの見方もあり、もめ事を避けたい朝廷らの意向も暗殺に結びついた可能性がある。

 日記には、会津藩から同年9月17日に千両の献金が贈られたとの記載もあり、あさくらさんは「芹沢が迷惑を掛けたとのおわびの意味があったのではないか」と推測。同月16日と18日の2説がある暗殺日も「16日が有力」とみている。

 あさくらさんは「芹沢には乱暴者のイメージが定着しているが、攘夷への強い思いを抱いていたのは明らかで、名誉回復につながればいい」と話している。(共同)


 実は9月13日の記述の一部は「熾仁親王行実」に記載があります(国会図書館近代デジタルライブラリーで閲覧できます)。

 今回発見の経緯は有栖川宮関係者ご子孫と5月に偶然お逢いして、有栖川宮家日記の所在を教えていただいたところから始まります。実際に日記の一部を見せていただき、原本確認を要するため、宮内庁書陵部図書寮文庫へ閲覧しに参りました。この日記は有栖川宮が絶家した際、高松宮が継承し、その高松宮も絶家したので同所に寄贈されたもののようです。平成18年度公開となっております。

 まず、9月13日の記述だけでは足りないので文久3年1月~慶応3年12月までの日記すべてを閲覧しました。そこで会津とは交流は薄く、代わりに衛士として水戸藩と鳥取藩が派遣されている事実を知りました。もちろん壬生浪士との接触はその1度しかありません。

 そして面白いのは17日に何の前触れもなく会津藩が1,000両献金していた事実です。10両以上献金したのはこの1回しかありません。

 ほかにも宮内庁には有効な史料群がいくつもあり、特に芹澤鴨が5月と8月に攘夷実行の先鋒を賜りたい旨を朝廷に建白していた事実も確認できました。

 かねてより水戸藩と鳥取藩の風聞書(別々に作成されたもので同一文書から分かれたものではない)に16日が暗殺日と記されておりましたが、有栖川宮家と関係があるなら納得が出来ました。

IMG (640x455)
 なお、今回の一件も含め、詳細は「新選組を探る」(仮題)に執筆しましたので、11月にお読みいただければ幸いです。もちろん13日に芹澤が来た日記部分は写真掲載します。訪れた15名が誰かが確認できると思います。

 ちなみに「何故、いままでの新選組研究家は…」みたいなことを問われますが、今回は有栖川宮家日記の公開が平成18年であり、それらを補強する点在する史料類も平成に多いことや、一番新しいもの(目録検索できるものという意味)今年の3月ですので、仕方ないことかと存じます。

 最後に、貴重な御話を賜り、教示してくださいました有栖川宮家関係者ご子孫に感謝申し上げます。

(茨城新聞記事に関する記事は重複するため今回記事と入れ替えました。記事内容はコチラをご覧ください)
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