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無二無三

『新選組を探る』、『川崎尚之助と八重』、『慶応四年新撰組近藤勇始末』、『慶応四年新撰組隊士伝』著者、あさくらゆうの公式ブログです。主に取材、調査、日常のことを記しています。 *当該ブログで掲載した画像の無断転用は固くお断り申し上げます。なお、論争の道具にすることは固くお断り申し上げます。*拙ブログについての問い合わせはTOPページよりメールでお願い申し上げます

Category [人物(その他) ] 記事一覧

千葉さな命日へ墓参す

14日12:00起床。けっこう眠りましたがまだ睡眠薬が残っているようでけっこうダラダラ。 そのお昼に嬉しいメールが届く。また、東京新聞との打ち合わせもあり細かく予定が入ります。16:00には出かけようと思ったのですが、少々体力に自信がなかったのできょうは調査外出は断念。18:20、病院で薬をいただき帰宅。あとはダラダラ。最後に射撃のお誘い。しばらく御無沙汰ですので16日にショットガンを撃ちに行きます。15日12:00起床。...

宇都宮リターンズ

3日 前夜はベッドに敷布団を敷いて、寝転んだらそのまま就寝した関係で、6:30に目覚めました。 しかし、まだダメダメで、再度9:00には就寝。結局15:00まで就寝してました。 左肩にまた憑かれたらしく、痛みが激しく、お風呂で緩和させて、土産物を届けに「矢立茶屋」へ。17:30には辞去し、整形外科へ。ここで注射を打っていただくも、たいして効果はなく、買物から帰ったらそのままダウン!結局22:30まで就寝しました(汗)...

小田切謙明訃報のこと

 今年に入ってから千葉さなの調査に費やすことが多くなっておりますが、思ったのは、どうも情報が錯綜しており、特に千葉さなについては小田切謙明が千葉さなから聞いた談話などという架空話が登場することをよくネットで見かけます。時系列で追った方が早いので、まず下記に記述します。明治23年7月 小田切謙明脳病(精神異常ではなく脳梗塞か?)に罹る明治24年不詳 治療のため京地(ここでいう京は東京の意味)で治療を受け...

千葉さな~新聞記事の反響

 日曜に少し書きましたが、反響が私の範疇を大きく超えていたため、もう1回書かなければいけないと思い、少し記述します。 基本的には足立史談を先にご覧いただけたら幸いです。 「毎日新聞」を発見するきっかけになったのは足立史談399号です。ここに「毎日新聞」の名前がありました。もとのきっかけは「千葉さな錦絵」一件での誤りであるという傍証の補遺を行っていたことから始まっています。 そのことを契機に国会図書館...

千葉さなが無縁塚になるまで

 千葉さなが亡くなったのは明治29年(1896)10月15日です。葬儀の後、19日にいまの谷中霊園に土葬されました。 墓所の管理者は本来なら養子の正(まさし)になるのですが、江田島の兵学校にいましたので、妹の夫が墓の管理者となりました。 その後、正は明治35年に病没しました。この後、悶着があり、管理者は墓所を手放してしまいました。当然、人間の心理として相手に権利など渡すわけはなく、放置されてしまいました。 もし甲...

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